体験談
鳥取県在住 CYさん
私が、初めて武司さんにお会いした時、「お姉ちゃんばっかりずるいよな」武司さんはそう声をかけてくださいました。
私の話は、一切お話しておらず、ただ、私の腕をとり、リストカットの跡を見ただけで、そう言ってくださいました。
それは、私が最も求めていたことで、ただ、寂しかったんだと、気付かされました。
この人は、本物だ。今も、この瞬間のことを鮮明に覚えています。それが、2011年のことです。
私は、自分の家族が苦手でした。9歳からリストカットをするようになりました。
最初は、母に気づいてほしくて始めました。
そのうち、怒りや、悲しみを埋める手段に、リストカットを繰り返すようになりました。
23歳のとき、私は一度、家族から逃げました。
家族のことが、事件になるのではないか。そんな毎日の不安から逃げ出したい。
家族だけでは、どうしようもない状況で追い込まれていました。
私は、家族から逃げ、東京へ上京しました。
上京してから、4年。仕事中に過呼吸で倒れ、帰宅途中に、救急車で運ばれました。
翌日から、呼吸の仕方が分からず、マンションの自室のドアの前に立つと、めまいがして、出かけることができなくなりました。
毎日、泣いて、消えてしまいたいと思っていました。これは、家族から逃げた、私への報いだと感じました。
パニック障害。うつの症状もみられる。と、診断を受けました。
安定剤をもらい、症状は、落ち着いていきましたが、過呼吸、動悸、目眩、いろんなことへの恐怖心は、消えませんでした。
自分の力ではどうすることもできない。その状況が余計に苦しさを生みました。
既に武司さんと、家族がつながり、家庭の状況が落ち着き始めていました。
安心を求めて、初めて私から、武司さんに会いたいと、言いました。
出会ったその日に、セッションをしていただきました。その直後、大勢の人がいる中で、食事をすることができました。
半信半疑が確信へと変わりました。
それから私は、ほぼ毎日、ゴミ拾いをする。神社さんへ挨拶に行かせていただく。自分の言動を振り返る。
数カ月に一度、零興業さんへ足を運び、武司さんにセッションをしていただく。
その中で、零興業さんと契約をさせていただきました。元気になりたくて、コツコツと頑張りました。
自分のこれまでを顧みて、卑屈だったなぁ、家族に素直になれなかったなぁ。人のことを悪く話してたなぁ。
自分のそれらの言動をどうするべきかを考え、改めようと努力しました。
そうして、結婚、妊娠、出産と、後押しして頂きました。
その後、厳しい状況、武司さんにお会いできない時期も、ありましたが、零興業さんとの契約を継続させていただける道をいただくことができました。
その間、必死に、ゴミ拾いをする。神社さんへ挨拶に行かせていただく。諦めない。
1人では、続けられませんでした。家族、仲間、零興業のスタッフの方々の支えがあり今も続けることができています。
家族への想いの変化をいただいたのは2年ほど前からです。
「忘れさせてやるよ」「こじれたのは、この時だな」と、武司さんがおっしゃり、セッションしてくださいました。
また、自分の何を正すべきなのか、行動。言葉。態度。心の在り方。具体的にアドバイスをいただきました。
家族へのドロドロした黒い憎悪の気持ちの記憶。それをただの記憶に変えていただきました。
寂しさ、悲しみ、怒り。当時の気持ちが、今は、思い出すことができません。
それは、とても「楽」になりました。
それから、家族と大笑いして過ごせる、「楽しい」に変わりました。
パニック障害の発作もこの1年半ありません。昨年は10年半ぶりにバイトをすることができました。
また、2年前のセッションで、子宮筋腫の手術を受けたことがある。と、武司さんにお話しをさせていただきました。
すぐに「とろう、とろう」と、セッションをしてくださいました。
昨年の定期健診では、子宮の気になる箇所にあった筋腫が確認できません。と、婦人科の先生から言われました。
今年の健診でも、気になるところへの筋腫は見られない。と診断を受けました。
「ひぇー!!」と、驚くばかりです。死ななくて、良かった。諦めなくて良かった。
諦めなければ、不貞腐れなければ、楽しい未来を自分で作ることができます。
自分の行動で、言葉、心の在り方で、家族が笑顔になる。子どものアレルギーが段々よくなる。夫が笑顔になる。
周りへ良い影響を与えるんだと、感じる日々です。
それでも、迷ったり、悩んだりするときは、零興業さんへSkypeをして、話をさせていただきます。
会話をしていると、笑顔になり、いつの間にか、答えをいただいていたりします。
決して、一人ではないこと。毎日、自分との戦いだけど、楽しくいること。笑顔で導いてくださいます。
それは、とても心強く、安心します。
今では、私の子どもも、みどりさんのSkypeセッションを、受けたいと言うようになりました。
家族で、セッションを受けると、心が軽くなり、笑顔になります。大笑いできます。
これから、もっと楽しく生きていくために、自力本願で家族と頑張り続けますので、今後とも、よろしくお願い致します。
MYさん(人間関係/母のコロナ感染)
私と武司さんとの出逢いは、人間関係が悪くなりどうしたら良いのだろうと絶望していた時でした。
その時初めてセッションをしていただきました。
「心の扉が閉まっているね」私を見て武司さんは仰いました。
セッションを受けると身体からブワッと何かが取れたような感覚があり、視界がクリアになりました。
心も身体も軽くなったのを感じました。
私の表情がとても明るくなったので、周りの人から元気になったね!と驚かれました。
その後Skypeセッションを続けていた時でした。母親が新型コロナウイルスに感染し重症化。
酸素飽和度60 になり、気管支切開も行いました。病院の先生からは夜中に2回程危篤だと連絡が来ました。
その時、母を助けたいの一心で武司さんに状況を説明すると
「子供が親のために頑張るといいよ、諦めたらいけないよ」とアドバイスをいただき、セッションを続けていました。
それからまもなく、母は奇跡的に目を覚ましました。
病院の方々も驚きの回復を見せ1ヶ月半で退院し、現在は元気に暮らしています。
退院後は母と一緒に神社さんへの御挨拶・ゴミ拾いを日課としており、楽しく過ごしています。
そして、私や母が笑顔で話すと周りの方が喜んでくれます。
そしてその人たちも笑顔になる。どんどん笑顔や幸せが伝わっていくんです。
現在は、長年距離のあった父親とも仲良く話せるようになり、初めて親子としての時間を楽しく過ごせています。
零興業さんとお話しさせてもらったり、セッションを受けていると、心の幅が広がっていきます。
自分の心の絡まりが一個ずつ解けていくようになり、自分自身や周りの人を大切に出来る様になります。
また、いつもポジティブにアクティブに活動される零興業の皆様を見ていると、また一日頑張ろうと思えます。
これからも、零興業の皆様と頑張っていきたいと思います。
【娘の不登校】
「親が変われば子供が変わる」私が武司さんに最初に頂いた言葉です。
武司さんに出会わせて頂いたのは、娘の不登校がきっかけでした。昨年の冬です。
その頃の私は、藁をもすがる気持ちで武司さんにセッションをお願いし、取って貰えばいつか良くなる、と漠然と思っていました。
毎日Skypeセッションが繋がるように、そして空いた時間はYouTubeを観て、途中からは神社さんへの挨拶、ごみひろいをして過ごしていました。
今振り返ると、まったく楽しむこともなく、がむしゃらになり、行動が目的となっていたと思います。私は娘への思いばかりで、親孝行、夫を大切にする事も全く出来ていませんでした。
その頃は家族そろって食事を囲むことも出来ない状態でした。
その後どうにか進学がきまり、これで一安心と思っていましがた、4月になっても進学先に登校できませんでした。
入学式にも行けずどん底にいた私は零興業さんのSkypeを鳴らしました。
その時、零興業さんと今までの自分の過去を振り返り、まず反省する所から始まりました。
そして、母親である私が「日々を楽しむ事、毎日を楽しく大切に過ごしていれば、振り返ったとき、変わっている」と教えて頂きました。
「楽しむ」を心で感じる事がなかなか出来ず、「楽しむとは何か、反省するとは何か」を自問する日々が続きました。更に、毎朝目が覚めると、不安に襲われ、それを払拭するために起き上がり、神社さんへの挨拶とごみ拾いに出かけました。昼間も何度も不安に襲われ、その度に零興業さんのSkypeを鳴らしていました。ほぼ毎日です。零興業さんに繋がると心が落ち着き、そして沢山の会話をして頂きました。その度、教えて頂いた事や大切な事はノートにメモする様にし、出来る事はすぐに行動するようにました。
ノート見返すと「楽しむ」という言葉が何度も書かれています。
また、武司さんのYouTubeは既に観たものであっても、心の感じ方、理解が違う事も実感しました。
「夫婦仲良く、夫婦は同じ天井を見て寝るのがいいんですよ」という言葉をきっかけに家中の断捨離もしました。すると、忘れていたお札やお守りが出てきたり、初めての結婚記念日に夫からもらった手紙も出てきました。
断捨離では「捨てる物にも“感謝”を」という事も教えて頂きました。
断捨離が終わりしばらくした頃、夫婦仲が良くなっている事に気が付きました。(それまでの私は夫にイライラして険悪な状態でした。)
また、母には心配かけている事を謝ることが出来ました。それでもまだ、私は“気づき”が出来ていませんでした。
ある日、ふと、娘の生き生きとした頃の動画が目に入りました。その瞬間、「この笑顔を私が奪ってしまった、自分のしてしまった事がどれ程愚かだったか」に気づき、すぐ、零興業さんのSkypeを鳴らしました。
私は涙が止まりませんでした。一緒に話している零興業さんも私と一緒に涙し話しをしてくださいました。
「目の前に来た事は出来るから来ている。出来る」この時に言われた事は決して忘れません。
それ以来、気が付くと、毎日が楽しくなっていました。家族での会話も増え、笑い、楽しく食事ができるようになりました。
また、娘の表情は穏やかになり、主人に対しての嫌悪が無くなり、さらに今後の事を自分で決定し、私はそれを心から受け入れる事が出来るようになりました。そして、進学先の先生が娘の現状を大変理解し支援して下さる事になりました。これらの事を母に伝えると、「安心した」と、心からホッとしている姿がありました。それまで悲しそうに見えていた祖母の遺影が、笑顔に見えました。それは自分の心を写しているという事も零興業さんに教えて頂きました。
これ以外にもさまざまな事がありました。不思議な事もありました。色々な方にも出会い、その時の私の状態に直接響くような、温かい有難いお言葉も沢山いただきました。
武司さんから最初に頂いた「親が変われば子供が変わる」、武司さんは私の全てを分かっていて、この言葉を私に下さったのにも関わらず、その時の私はこの言葉の意味の深さを本当の意味を理解していませんでした。
きっかけは娘の事でしたが、家族・両親・私に関わる方全てが繋がっている事を零興業さんとの会話から学びました。そして、不思議な事に、零興業さんと繋がると、泣いたり笑ったり嬉しくなったり楽しくなったりと、感情と言葉が溢れ出てくるのです。それは今もです。
「武司さんのセッション」、「みどりさんのセッション」を娘は一度も受けていません。
セッションは全て母親である私のみが受けさせて頂いています。「零興業さんとの会話」、「YouTube」、「神社さんへの挨拶」、「ごみ拾い」、も全て私一人で行っています。
私の変化によって、全くセッションを受けていない娘が変わって来ています。
「親が変われば子供が変わる」、「親が受ければいい、子供は親だよ」という武司さんから頂いた言葉を実感しています。そして、零興業さんとの会話が無ければ、私はこの言葉の本当の意味と深さを理解し、行動する事は出来なかったと思います。
今は娘とカフェ巡りをしたり、スポーツを楽しんだり、家族で楽しく食事をしたり、と大きく変わりました。そして、これから進む娘の道に不安ではなく、希望を持てる様になりました。
武司さんがYouTubeで零興業さんの話をされている意味が今は分かります。武司さんの基で様々な経験されたからこそ、こんなにも心に響き、気づかせて頂けるのだと思います。そして、心から応援してくださっている事を実感します。
もっともっと良くなるよう、コツコツ頑張ります!
会話も沢山したいです。これからも、どうぞよろしくお願い致します。
【娘の不登校】 (セッションを受けてから)
セッションを受けるようになり、心と胸のあたりが軽くなるのを感じました。本当にホッとするのです。
何度も何度もセッションして頂いてるうちに、ストレスからくる左胸と左背中の痛みが無くなり、さらに睡眠導入剤が無くても眠れるようになりました。それまでは、心が落ち着かず、眠る事が出来ず、眠れたとしても数時間で目が覚めてしまう毎日でした。眠れるようになったのは、私にとって本当に大きな変化でした。さらに、娘にも少しずつ変化が見られ、現実逃避していた娘が受験を乗り越え、年末には進学先に合格しました。少しずつですが外出が出来るようにもなっていきました。
今はみどりさんのセッションをほぼ毎日受けさせて頂いています。
セッションを受けると心と身体がとても落ち着き、スッキリします。
また、零興業さんに沢山の会話をして頂き、沢山の事を学ばせて頂いています。セッションの後も、会話の後も心がスッキリし、「頑張ろう!」という気持ちが沸き上がってきます。
そして毎日が本当に楽しくなりました。
私にとって「Skypeセッション」と「零興業さんとの会話」は、どちらも欠かせない事だと実感しています。
最近になって気が付いた事があります。
私は、毎晩蕁麻疹が出て、ひどいかゆみに何年も悩まされていました。それが今は全く出なくなっていました。蕁麻疹が出ていた事を忘れていた程です。また、ひどい花粉症だったのがほぼ薬を飲まず過ごせるようになっていました。
娘は不登校になって以来、過去の嫌な事を思い出し(フラッシュバック)、頭を抱え込み、顔を歪める事をよくしていましたが、それが全くなくなりました。また、不登校になり連絡が途絶えてしまった友人と連絡を取り合うようになり、再会し、以前のように戻っていました。
これらは、「あれ?そういえば、最近・・・」といった感じで、いつの間にか良くなり変化していました。
次々の変化に驚いています。これからが楽しみです。
Y Yさん (10年以上の引きこもりが治りました)
私が初めて武司さんにお会いさせて頂けたのは2007年の3月のことです。幼なじみの友人を通して武司さんに繋がらせて頂きました。
その頃の私は10年以上ほぼ引きこもりで社会と関わることができずにいました。家族とも会話ができなくなり、拒食症にもなってしまっていました。胃が食べ物を受け付けれなくなり、食事を取ることがままならなくなっていたので、かかりつけ医で点滴を打ってもらう日々が続いていました。強い腹痛で歩けなくなったり、たまに外に出ても、人混みやホームセンターなど物がたくさん陳列されている場所などでは、めまいや吐き気に襲われ常にイライラしていました。自分の辛さを家族に当たり散らし、特に不仲だった母親へのあたりは、振りかえってみても酷いものでした。自分を消してしまいたい。苦しくて八方ふさがりでした。
その頃です。長年連絡を取っていなかった友人が、連絡先と「会いたいです」の一言を添えたハガキを送ってきてくれたのです。後に武司さんに繋げてくれた幼なじみからでした。
ハガキを受け取らせて頂いた私は強く何かに押されるような気持ちで、震える手で友人の連絡先に電話をかけたことを覚えています。初めて、武司さんがいらっしゃる富士宮の事務所に行かせて頂けたのは、幼なじみとの再開から一年後のことでした。
初めて武司さんにお会いさせて頂けた時の私は、今の自分からは想像し難い位ふらふらで声を出して笑えるような自分ではありませんでした。武司さんの印象は寡黙で厳しそうな方。そして全てを見抜かれてしまっている。そんな緊張感があったことを覚えています。「どうなりたい?」と武司さんは聞いてくださいました。私は「元気になりたいです」と答えさせて頂きました。「元気というのは自分から出すものなんだよ」武司さんはそう言ってくださると、当時武道心と呼ばれていた方法で、バドミントンのラケットをくるくると回しながら私のお腹から何かを取り出してくださいました。その夜からです。食べ物がお腹に入ると石ころが入ったように感じていた痛みがなく、おむすびがまるまる一個食べることができたのです!私はびっくりしました。食べれた!食べ物が食べれた!嬉しかったです。それまでは一回の食事はクラッカーを2、3枚、おむすびも半分食べれたら良い方でした。それが一気に変わったので本当にびっくりしました。食べ物への感謝の気持ち。手を合わせて「いただきます」をすること。家族や友人と米粒が飛ぶほど会話しながら食べること。教えて頂くことは初めての考えばかりでしたが、まずは形からでもとにかくやってみよう!
と「いただきます」を必ずさせて頂くようになり、そのうち気持ちも変わってきました。自分は不満だらけで食べ物が食べさせて頂けなくなっていたことにも気付かせて頂きました。
武司さんとお会いさせて頂けてから数ヶ月、体調も落ち着いてきて外に出る機会も増えたのですが、武司さんに言って頂いたことの意味をきちんと捉えることができていなかったことで、その後さらに私は動けなくなってしまったのです。地元に帰っても母との関係が修復されないまま、あることをきっかけに、私は体の腰から下に強い痛みとしびれが出るようになり、ほとんどベッドから動けなくなってしまいました。母親、家族との関係。ここが一番大事なところでした。私自身の体調不良はそこから始まっていたのです。そのことに気付かせて頂けるのに、時間がかかってしまいました。
病院に検査入院し、精密検査をしても原因がわからず、診断名もはっきりとはつきませんでした。最終的に出た診断は線維筋痛症の疑いでした。対処療法で痛みをコントロールするしかない。ですが、どんな薬やブロック注射を使用しても効果はなく、あまりの痛みで車に座って乗ることもできないし、寝たままご飯を頂くような状態でした。そんな状況を打破してくれたのも友人でした。友人から私の状況を伝え聞いた武司さんは「俺と知り合った子はほっとけない。普通の生活に戻してあげたいさ。」と遠方からでも接点を持てるようにテレビ動画を繋げてくださったり、あの手この手で体の痛みを何度も取ってくださいました。「体の痛い人を動かしたくない」と、静岡から十時間以上もかかる私の地元へも、みどりさんと一緒に車を運転して会いに来てくださいました。動かしにくくなってしまった体が動けるように後押ししてくださり、自分でも笑えるように、笑いをいっぱいくださいました。直接武司さんにお会いさせて頂くことは度々は出来なかったですが、一人で動けない時は家族の力を借りて地元の神社さんに行かせて頂いたり、コツコツごみ拾いをさせて頂いたり、家族仲良くを心がけたり。
母との関係がギクシャクしていた私は、家族仲良くがなかなか上手くできなくてハードルが高かったです。今ではそんな時期があったのかと周りがびっくりするくらい母とも大笑いできる仲なんですが、当時は普通の会話さえもできなくて落ち込みました。
ですが、諦めず、とにかく武司さんに向かわせて頂くこと。ただひたすらそのことを胸にやらせて頂きました。くじけそうな気持ちの時も、仲間の存在や私を武司さんに繋げてくれた友人からの励ましも自分にとって頑張る源で勇気になりました。おかげさまで少しずつ、時には一気に変化を頂いて、車に普通に座れなかったのが、免許をとり日常的に運転させて頂くようになりましたし、結婚と就職もし、人生が変わりました。
一時、直接武司さんにお会いできない時期がありました。現在のようにSkypeセッションもありませんでしたし、零興業の皆様とSkypeでお話させて頂くこともなかなかできませんでした。段々と元気になっていたとはいえ、体の痛みも落ち着いたかと思ったらまた痛くなったりを繰り返し、いつ動けなくなってしまうのか分からないという不安もありました。だからこそ、零興業さんと契約を続けさせて頂くということは意味がありました。私や家族にとって命を繋げて頂くことそのものでした。大げさなことではなくまさに命綱だったのです。直接武司さんや零興業の皆さんとお会いできなくても、零興業さんと繋がっていることの安心感。頑張り続けれる源だったのだと感じています。
現在、みどりさんのSkypeセッションを受けさせて頂けることがとても有難いです。今を維持するためにも心身が健康でこれからも元気に笑っているためにも、Skypeセッションをできるだけ受けさせて頂くようにしています。迷いが出たとき、不安なとき、Skypeで零興業さんのお時間を頂くことで自分に立ち返らせて頂きます。大切なことを思いださせて頂きます。心が変われば行動が変わる。自分が大事なら相手を思う。武司さんから教えて頂いた様々なことを土台に、これからも零興業さんを使わせて頂き、家族共々元気に笑っていきたいです。これからもよろしくお願いいたします!